蔵元 日光氷商店

コラム

日本でブームの天然氷はいつ頃から作られている?日本と世界の天然氷の歴史を見てみよう

日本では、天然氷で作ったかき氷がブームとなっていますが、天然氷はいつ頃から作られてきたのでしょうか。また、日本と同様に、海外でも天然氷が利用されていたようです。本記事では、世界と日本の天然氷の歴史を、調査してみました。天然氷の利用方法が日本と海外でどう違うのか、また、日本の天然氷の需要が、近代になってどう変わったのかについても見てみましょう。

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海外の天然氷を活用してきた歴史

海外でも冷蔵庫がなかった時代には、日本と同様に冬に氷や雪を貯蔵して、夏に利用していました。貯蔵された氷や雪は、食用にするほか、食料品を長期保存するためにも使われていました。2500年前の中国には、すでに巨大な氷室があって、大量の氷や雪が貯蔵されていたことがわかっています。また、西暦210年には曹操が、氷井台(ひょういだい)という、氷を用いた巨大な冷蔵庫を作ったという記録があります。食料を安定的に確保することが、戦争をする上でも重要だったから、このような冷蔵庫が作られたということです。

欧米でも天然氷が利用されてきた

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天然氷を戦略的に利用したのは、中国だけではありません。ナポレオンは、遠征先にいくつもの氷室を作って、自軍の食料を確保していたと言われています。ナポレオン軍は数十万の大軍でしたから、夏に戦地で兵士の食料を確保するために、氷室を作らせたのでしょう。19世紀になると、アメリカのカーネギーホールの冷房用に、天然氷が利用されるようになりました。このように、海外では食用以外にさまざまな目的で、天然氷が利用されてきた歴史があります。

日本でも昔から天然氷が利用されている

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日本では、日本書紀に天然氷を食べたという記録があるほど、古くから天然氷が使われてきました。海外とは違って、日本では主に食用として天然氷が利用されていたようです。平安時代になると、夏に貴族たちが削った氷を食べたという記録があります。甘い汁をかけて食べたといいますから、現代のかき氷のようなものが、すでに存在していたことになります。といっても、当時のかき氷は非常に貴重な贅沢品だったので、一部の特権階級だけが食べることができました。

明治に入ると製氷機の氷と天然氷が共存

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明治時代になると、製氷機が登場して人工の氷が作られるようになりました。こうなると、天然氷は高いので、製氷機の氷に取って代わったかのように思われがちです。しかし、当時は製氷機そのものが珍しい時代だったので、製氷機で作った氷のほうが天然氷よりも高価でした。そのため、製氷機が登場しても、天然氷の需要はこれまで通りにありました。ところが、製氷機が安くなり普及していくと、徐々に天然氷が姿を消していきます。製氷機で簡単に氷が作られるようになると、手間のかかる天然氷は需要が減っていったのです。

庶民がかき氷を食べられるようになったのは幕末

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江戸時代の末期頃には、船を使って北国の氷を、大量に江戸まで運べるようになりました。そのため氷が身近なものになり、庶民でもかき氷を食べられるようになったのです。それまでは、江戸で夏に氷が食べられるのは将軍だけでした。しかし、庶民が気軽に氷を食べられるようになったのは、明治になってからです。ちょうど文明開化で、西洋文明が日本に入ってきたのと同じ頃に、氷も多くの庶民が口にできるようになりました。

天然氷の生産を拡大させた中川嘉兵衛

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明治になって天然氷の需要が一気に拡大したのは、中川嘉兵衛という人物がいたからです。中川は、英国公使のもとでコックとして働いていましたが、先見の明があり、牛肉や牛乳を売る店を始めたり、パンを売ったりしていました。どれも、当時はまだ日本に普及していなかったものばかりです。その後、中川は医薬品や食料の保存のために、氷が有益であることを知り、天然氷生産事業に取り組みます。中川は、日本各地に天然氷の製造所を作ったので、天然氷が一気に広がっていったのです。

日本初のかき氷屋がオープンしたのは江戸末期

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中川は文久2(1862)年の夏に、天然氷で作ったかき氷屋を始めます。その天然氷は、箱根や諏訪湖から運んできた氷でした。中川は、横浜の馬車道通りに、日本初のかき氷屋「氷水屋」をオープンさせます。最初は「食べるとお腹が痛くなる」などの噂が立ち、あまり売れなかったようですが、安全だとわかると飛ぶように売れました。

アイスクリーム第1号は天然氷のかき氷屋で販売

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日本で最初にアイスクリームが売られたのは、明治2(1869)年のことでした。横浜馬車道通に、町田房造という人物が開いたかき氷店で、「あいすくりん」という名前で売られました。これが、日本のアイスクリームの第1号です。当時のアイスクリームは、今とは違ってシャーベット風でした。しかし、あいすくりんはとても高価だったので、あまり売れなかったようです。

天然氷の中川と同様に町田も先見の明があった

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町田房造は、勝海舟に影響されて2度渡米し、氷やマッチ、石鹸、造船用鋲製造などの製法を学んで帰国しましたが、なぜかこれらの知識を生かさず、アイスクリーム屋を始めるという変わり種です。中川も町田も先見の明のある人物なので、これからは天然氷やアイスクリームが売れる時代になることを、予見していたのでしょう。天然氷はその後、昭和に入るまで売れ続け、アイスクリームはいまやスイーツの代表格になるほど、私たちの生活に溶け込んでいます。

天然氷のかき氷を普及させた2大発明

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明治になって製氷機が発明され、続いて氷削り器が発明されたことによって、天然氷のかき氷が普及していきました。製氷機が発明されると、天然氷の需要は減りそうなものですが、当時製氷機で作られる氷は高価だったので、天然氷のほうが安く買えたのです。つまり、製氷機の発明で人工的に作る氷に興味が集まったものの、高価なので天然氷が使われるようになり、氷削り器の普及が後押しする形で、結果的に天然氷のかき氷が普及したのです。

– まとめ

天然氷は日本だけでなく、世界各地でも利用されていました。しかし、日本では食用に用いられた天然氷も、海外では戦争のための食料を長期保存する目的で使われてきたのです。